2015年09月09日

終わりに

4日分の旅行記を書き終えました。
各記事に写真を追加しました。
もっとたくさん撮ったけどめんどくさいからこのくらいで。

読み返してないから誤字脱字文章の乱れあったら
ごめんなさいです。
posted by れれ at 21:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

久しぶりの旅行 四日目

さて、最終日です。

実はシーワールドが予定から外れたり、プラザスナヤンに
前日行けてしまったので行く場所がない。
本当なら遠出したいけど、予想外の道路渋滞を考えると
安全な方向で考えないと空港へ行けないということもあり
仕方なく午前中はのんびりホテルで過ごすことに。

でも父は昨日モールで見たバッグをやっぱり買いたいというので
付き合って移動し(結局バッグは買いませんでした)
戻ると母がもう一度おみやげを買いに行きたいというので
付き合って移動し、私だけ何ものんびりしていないのですが。

遅めのチェックアウトをしてからホテルに近い場所にできたらしい
ジャカルタ最大級のショッピングモールへ行くことに。
わかっていましたが、高級ブランド店ばかりが並んでいるので
特に買い物ができるわけでもなく、外からお店を眺めるしか
できなかったのですが、とても広い…。
でも弟曰く船橋のららぽーとの3分の1程度だから
大したことないらしいです。船橋恐ろしいな。

父も母も疲れ切っていたので、スタバで休憩をすることに。
せっかくなので海外チェーンではなくインドネシア発祥の
カフェに入ってみたかったのですが、モール内にあるのか
ないのかもわからないので、目についたスタバに入るしか
ありませんでした。

スタバの味は全世界共通のようですね。
ちゃんと抹茶ラテとかもありました。
名称はグリーンティーですが。

私はいつもの抹茶フラペチーノを頼みました。
難解なスタバの注文ですが、世界共通だと知っている
メニューなら迷うことなく注文できるのがありがたいですね。
が、しかし、何か聞かれている。何だか聞き取れない…。
アイス?アイス?と聞かれているように思えたけど
フラペチーノは問答無用でアイスだし氷とかは入れないし…。

店員さんも私も悩んでいると「サイズはなんですか?」と
別の店員さんが日本語で聞いてくれました。
「私、少し日本語喋れます」と話しかけてくれた店員さん。
名前を聞かれたので、答えると、カップに名前を書いて
「れれさん(仮)は旅行ですか?」と話しかけてくれました。

ジャカルタに旅行なんてあまりないことなので「旅行です。
昔インドネシアに住んでいたことがあったので遊びに
来ました」と言うと「本当に!?ジャカルタに住んで
いたんですか?」と嬉しそうに言葉を返してくれました。

私の勝手な思い込みですが、漫画好きだったりするのかな?
と思いました。なんとなく空気が。
あと、外国の人が日本語を学ぶ理由ってアニメや漫画が
好きだからというのが多いですよね。

話が逸れますが、ジャカルタに渡航して1か月くらいしか
経っていない時、まだ会話どころか挨拶以外の単語すら
ロクに覚えていない頃に現地の学校へ体験入学する
交流会がありました。私は行くつもりがなかったのですが
ハーフの友人に「一緒に行こう!言葉なら私といれば
大丈夫だよ!」と言われ、異国の学校に興味もあったので
安心して参加したところ、当日は参加者が各クラスに
分けられてしまい、なんと私だけ日本人1人になって
しまったのです。他のクラスは2人くらいいるのに!

何もわからない私に現地の生徒たちは優しくて
言葉がわからなくても学校を案内してくれました。
昼食の時間帯になると、校内にある屋台でサテをご馳走して
くれました。他の日本人たちは一体この昼食をどうやって
過ごしていたのか今となっては不明ですが渡航して間もない私は
生命の危機を感じました。

屋台は食器を洗う水が溜まり水で不衛生である可能性が高く
屋台の食べ物を買う場合は食器を持参するか店の袋に
入れてもらって持ち帰ることという注意があったのです。
それなのに、食器で…食べなければいけない。
まさかご馳走してもらって食べないわけにもいかないし。
その上、屋台のおじさんに何か聞かれたので、よくわからないけど
頷いてしまったら「唐辛子入れますか?」的な質問だったらしく
病気になるかもしれないお皿で激辛焼き鳥を食べるという
とてつもない苦行になってしまいました。

私、家に帰れるのかな…食中毒で死ぬかもしれない。
結果は何ともなかったのですが。学校にある屋台だから
きっと比較的衛生状態が良かったのと、私の胃腸が
とても丈夫だったおかげだと思います。
渡航して一週間くらいでかならずおなか壊す洗礼受けるよ!と
周囲の日本人が言っていましたが、私は滞在中に
胃腸を悪くしたことが一度もありませんでした。私すごい!

なんとか激辛焼き鳥を食べ終え、午後の授業。
当時教室でどんなことをしたとか、混乱しすぎていて
全く覚えていないのですが、おそらく交流タイムのような
時間が設けられていたのか、周りの子たちが私にたくさん
質問してきました。でも何を聞かれているのかわからないし
答えられない。ので、持って行ったイラストを見せてみました。

漫画とかこの国でどういう風に見られるのかわからないけど
言葉以外で私が出せるものってこれしかない…。
不安でしたが、言葉が通じず困っていた子たちがみんな笑顔を
見せてくれて、とても喜んでくれたことは覚えています。
1人は名前と電話番号をメモに書いてくれて、お友達に
なろうね!的なことまで行ってくれました。
残念ながら電話で会話できるほどの語学力が身につかなかったので
それ以来連絡は取れていないのですが、もうほとんど記憶にない
彼女の顔にスタバの店員さんが似ていた気がしたんです。

話が更に逸れますが、室ちんの「オレはこれ」と言って
バスケで友達を作っていたシーンを見て、私はあの時のことを
思い出しました。好きなものがあるっていうのはとても
アピールになるんだと実際に体験しているので…。

話は元に戻りますが、スタバで休憩をし、弟がもっと見て
まわりたいというので、スタバに両親を置いて付き合うことに。
弟は小2までしか滞在しなかったし、幼児が外国語で喋る必要も
ないので、全く言葉を覚えていなかったようなので
1人でお店を歩かせるのも心配でついて行きました。
まぁどこのお店でも「how much?」くらいは通じると思うし
金額は電卓で文字出してもらえるので買い物できないことも
なかったんですけど弟は危なっかしいので。

私は一昨日買った黒バス9巻に加え、10巻も追加で購入し
最終的に9・10・12巻を入手。読めない本を買って
どうするんだと父には言われましたが、英語の本より多少は
単語がわかるので見ていて楽しいです。

くたくたになったところでホテルに戻り、預けていた荷物を
受取り空港へ。行きがとてつもない渋滞だったので、万が一
飛行機に乗り遅れることがあってはいけないのでかなり
早く出発したのですが、全く混んでいなくて40分ほどで
到着してしまいました。5時間前に到着って…。

市の中心部はあんなにきれいなお店が連なっているのに
空港は昔とさほど変わらず、多少空調が良くなった程度で
日本の空港のように時間が潰せないのでベンチに座って
ひたすら中へ入れる時間を待っていました。
搭乗3時間くらい前でないと手続きが開始されないので
なかなか辛いです。

しかも案内板に乗る予定の飛行機が表示されていなくて
不安を煽られたのですが、普通に飛行機はありました。
最初は心配して待合ロビーを右往左往してしなったんですが
途中で自販機を発見して驚き!この国に自販機ができてる!
必要なかったので買ってはいませんが、普通によくある
ガコンと出て来るタイプのと、数字のボタンを押すと
マジックハンドみたいなのが取ってくれる形状の2種が
ありました。結構進んでるな!

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ちなみに飛行機の便名をググると現在の運行状況が
表示されるというすごい仕組みを発見しました。
宅配便の番号と社名を入れるとググれるけど飛行機も
瞬時に情報を教えてくれるグーグル先生パネェ…。
問題は空港なのに回線2Gってところかな。
インドネシアはもうちょっと空港設備頑張ろう!

手続き可能な時間になったので手続きカウンターへ行ったところ
なんと満席でアップグレードしてもらえることに。
運良くラウンジも4人分使っていいとチケットをもらえたので
ソファでゆっくり過ごせました。
軽食と飲み物、PCも置いてあって現代的なラウンジに
なっていました。昔もそれなりにきれいだった印象だけど
更に改装されたのかな?

休憩前に免税店でおみやげ品のお酒を買ったり、結局
何も買えなかった弟が記念にバティックのシャツを
買ったり。デパートでも欲しがっていたのですが
お値段が張ったことと父がこんなの日本で着て歩くのは
勘弁してくれ!と頑なに拒んだので買ってもらえなかったんです。
バティックの柄は素敵だけどモノによっては確かに日本じゃ
浮くので父の言い分がわからなくはないですが、そんなに
嫌がらなくてもいいじゃない…と私も母も思っていました。

最後は「残ったルピア渡すからその範囲で好きにして」と
弟に丸ごと財布を預けたので「チャンスだ買っちゃえ!」と。
父は自分の香水を探しに別行動だったので、私と母と弟で
良い柄探ししました。さすがにシルクの生地は買えなかったけど
なかなかいい柄のシャツが買えたと思います。
父は未だに何を買ったか知りません。

時間も迫り、搭乗口に向かいました。
そこに行くまでは忘れていたけど、独特の装飾が施された
天井は以前と変わらず、これを見るとジャカルタ中心部の
都会的なものと全く違い、異国の地であることを再認識し
そしてもうここから発つんだという何とも言えない気持ちに
なりました。現代的な内装だったらきっとそんな気持ちは
それほど感じないんじゃないかと。

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飛行機に一歩足を踏み入れると、日本人の普通の
日本語で挨拶をされるので、半分は日本に戻った
気分になります。アップグレードのおかげでエコノミーより
快適な座席でアメニティも提供され、くつろげるかなと
いう感じでした。行きの飛行機は赤ちゃんや幼児が近くに
3人も乗っていて、何故か終始誰かが泣きわめいているという
散々なフライトだったので、やっと飛行機での旅を
楽しめたかなと思いました。

子供を飛行機に乗せるべきか否かみたいなコラムが
炎上したか何かあったかと思いますが、正直なところ
長時間ずっと泣き声が聞こえていると逃げ場がないので
疲れてしまいますね。赤ちゃんが泣くのは仕方ないにしても
本来ならばそんなに泣くような年齢ではなくなる3〜4歳くらいの子が
「やんなっちゃった〜!!!」と言って泣いていたので、
子供にとっても良くない環境かと。
そんなに喚かせてまで外国に行く必要があるの?と思いましたね。
ていうか、アレ躾全然できてないし泣かない子は泣かないよ?

そんなわけで、夜は軽食とシャンパンをいただき安眠。
アイマスクもアメニティとして提供されているので
ありがたいですね。自宅で使ってるアイマスク、ゴムが
伸びちゃってボロボロだったから持ってこなかったので…。
憧れのうどんですかい(JALのカップ麺)もいただいて
しまいました。

飛行機でお酒飲むのってちょっと大人っぽい!と
思って行きはワインを飲んでいたのですが、
シャンパンもいただけるとは思っていなかったので
すごくリッチな気分を味わえました。
(エコノミーではシャンパンの提供がないのです)

お酒を飲んで一眠りして、朝は台風の影響で揺れが
予想されるため、早めに朝食になるということで
4時台から朝食だったので少し慌ただしかったです。
パンにオムレツ、サラダにヨーグルトという
オーソドックスな機内食が懐かしかったです。

行きに出た昼食はあり得ないほど酷い味付けと
メニューだったんですけど、JALさん経営破たん
したからって食べ物ここまで不味くする必要なくない!?
と思いました。普通は日本で食材積み込む行きの
飛行機の方が食事美味しいのに帰りの方が美味しかったよ!?
にんじん!おから!フルーツ!って病院食かと思った…。

フードスタイリスト監修メニューってなってたけど
ヤバいよその人!味覚おかしい!!
美味しかったのハーゲンダッツだけです。
これな。
https://www.jal.co.jp/inflight/inter/menu/pdf/meal/nrt_cgk_y_m_201509.pdf

そんなこんなで無事に雨の降る日本に到着。
何故か入国審査を急ぐ父を早足で追いかけ
余韻に浸る暇もなく空港を出て帰路に着きました。
父さんなんでそんな急ぐの?

帰国後はモメる両親を諌めたり、なんでもかんでも私に
質問され、一生懸命ググったり運転手さんに伝えたりで
私は疲れ切って半日寝込んでしまいましたが良い旅に
なったと思います。欲を言うと父がもう少しゆったりと
行動してくれる人だったら良かったのですが、家族を
無事に帰国させなければという使命感とか色々あったの
でしょうけど、終始慌てているようにしか見えず
忙しない部分も多かったですね。

弟や母はともかく、私は一番頭がいい時期に滞在をした所為か
言葉もほとんど忘れていないし、文字を見れば意味を思い出すし
一番現地語喋れるポジションだったので、もう少し落ち着いて
くれて良かったのになぁと思います。
とはいえホテルでは外国人に対し英語を使われてしまうので
父がいないと何もできないので父には感謝してます。
英語よりインドネシア語の方がまだ喋れるのです…。

できるならまた5年後、10年後にインドネシアを訪れてみたいと
思うのですが、この物価の上がり具合を見ると、庶民の
私にはもう貧乏を突きつけられるだけの旅行になって
しまいそうなのでちょっと怖いなと思いました。
でもあれ以上貧富の差が開いたら、暴動が起こりそうな
気もします…。良い国になってくれることを願っています。

余談ですが、道路渋滞の原因は車の増加に加え、地下鉄工事で
かなりの道が狭められていることにもあるのかなと
感じました。メインストリートの大半が工事。
クレーンなどの重機には「下に入らない!」などの
注意書きが日本語で書いてあって、日本からそのまま
持ってきた重機で工事をしているようでした。
日本もかなりバックアップしてる様子です。

ホテルにあるトイレや手を乾燥させる温風機も
日本メーカーで、15年前よりもはるかに日本の製品が
使われるようになっていて、日本がすごく浸透している
様子が手に取るようにわかりました。

15年でものすごい進化と変化を遂げたインドネシアの旅は
私にまたたくさんの刺激をくれました。
posted by れれ at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

久しぶりの旅行 三日目

3日目の朝、6時前に起床し朝食へ向かう準備。
日本より2時間遅れなので、6時でも日本では8時。
それほど早起きではないので楽です。

現地時間では早朝ですが、窓の外を見ると普段は車が
大量に走る大通りに人が歩いたり自転車で走行したり。
どうやら歩行者天国的な何かで、もしかしたら車移動が多い
現代でウォーキングして健康になろう!って習慣で毎週
日曜日の早朝はこんな催しがあるのかな?と外を眺めていました。
時々バスがゆっくり走行していたので、バスだけは完全に
止めないようにしているのかも。

お風呂に入ってまた外を眺めたら、あれ?人が増えてる。
身支度をしている間にもちょこちょこ外を見ると数分おきに
人が増えて道路を埋め尽くしている。
どうやらお祭りのような何かが始まるみたい!

ちょっと外の様子を見に行こうと父と私が外へ。
人がたくさんいる現地のお祭りっぽい場所へ日本人が
歩いて行くなんて現在の治安がどれほどかは細かく把握
していないけど、おそらくとても危険なこと。
しかも何のお祭りかわからないので、インドネシアの人たちは
日本人に友好的なので、ないとは思うけど万が一反日っぽい
パレードとかだったら相当ヤバいだろうと思いながらも
お祭り大好きな私は自分を止められずホテルの敷地外へ。

危ないと思いながらも道路に出て、一緒に流れに沿って歩き
道路の向こう側へ行ってみました。
軍隊と思われる集団がブラスバンドで音楽を演奏していたり
着ぐるみが通ったり、民族衣装を着た女性たちが歩いていたり
色々なグループがひっきりなしに通り過ぎていく光景は
今まで見たことがないし、仮にこれが15年前にあったとしても
子供の私は道に連れ出してもらえなかっただろうし、大人になった
今だからこそ楽しめるイベントに遭遇できた奇跡を感じました。

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しばらくその辺りを眺め、そろそろホテルに戻ろうと歩道橋へ
上がると(昔は歩道橋なんてなかったから道路を渡ることが
できなかったので、この辺も進歩を感じます)片側で何車線もある
大通りを切れ目が見えないほど埋め尽くす人の数。

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9時に昨日のタクシー運転手さんと1日契約できてもらう
約束をしていたけど、この道は完全に通行止めだし
来る気があっても迂回路すら渋滞で無理なのでは?と
思いつつ、パレードが一日中続くならそれはそれでいいかなと
考えながらまた窓の外を眺めました。

支度が終わった母を外に連れて行ってみましたが、この時も
日本人女性2人では父と出て行った時より危ないと承知の上で
それでも私は外に出たい気持ちが勝ってしまいました。
ちなみに路上で記念写真を取っている外国人はほとんど
いませんでした。中国か韓国っぽい人と欧米系の人を1組ずつくらい
見かけた程度。危ない橋を渡ってしまったけど無事で良かったです。
母を連れて行った時は歩道橋が文字通り危ない橋になっていて
階段の途中や橋の上に早朝はいなかった子供が増え、ちょっと
ヤバいかな?という雰囲気だったのでヒヤっとしました。

私は今はひきこもり期間が長く肌の色がだいぶ抜けましたが
インドネシア滞在中はテニスを週1でやっていたり、体育の
授業も勿論あるのですごく日焼けしていて、現地の人と
大して差がない容姿だったので、外国人として目立つことが
他の人より少ないのですが、母は中国人に間違われることが
多かったのでインドネシア人にあまり好かれていない中国人と
間違われることは攻撃の対象になりやすく危ないので
私が母を守らないといけないプレッシャーでいっぱいでしたが
無事に戻れて本当に良かったです。

当時も中国人に間違われて日本人の車が襲われたなんてことが
あったので、日本人と思ってもらえないと余計に危ないんです。
今はあの国で中国人の印象がどうなっているのかわからないですが。

念のため服装はロングスカートであまり肌の露出がない格好で
結構現地に馴染める服を選んだので良かったのかなと思います。
あとなんか知らないけど私の顔は外国人ウケするのです…。

そのあとは部屋に戻り、時々外を眺めてのんびり。
ある場所では空手か少林寺のような型を披露していたり
その近くで警察官がパトロールの準備をしていたり
色々なものが見られました。車もバイクも機能しない
場所ではローラブレードを履いて移動するみたいですよ。
警察官が。

まだまだ続くパレードでしたが、無事にタクシーが到着して
くれたので、本日の目的のラグナン動物園へ。
コモドドラゴンがいます。

もともとシーワールドという水族館に行く予定だったのですが
どうやら昨年閉鎖、1年くらい経って今年再開したらしいという
情報を得たので、行っても魚とかいないかも…と思い
確実に存在する動物園に行先を変更しました。
シーワールドは普通の水族館で外国人観光客があまり行く
場所ではないので情報が出てこないんです。
ラグナンはジャカルタ市内でコモドドラゴンが見られるので
一応観光地です。

タクシーの運転手さんにラグナン…と言ったところで
そういえば動物園って言葉知らない。と思い、慌てて
Wi-Fiを起動し、住所を表示しようとしたのですが
住所が出てこなかったので「ラグナンに行きたい。
コモドがいるところ!」と言ってみたらわかってもらえました。

私の記憶ではそれほど広くもなく、人も少なく、さびれた檻に
動物がいて、その辺で象洗ってたり象に乗せてもらえた場所と
いうイメージだったのですが、朝10時くらいで入口が大渋滞。
人人人でこんな記憶全くないよ!?というくらいの人の多さ。
中に入っても人だらけ。人を見に来たのかと思うほど。
私の知ってるラグナンこんなのじゃないよ!?

仕方ないのでとりあえずコモドドラゴンを目指しました。
案内表示がわかりにくく、園内の地図はあるけど現在地が
書いていないし、看板の方向に進んでも動物いないしで
苦労しましたがコモドは無事に見られました。

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割と元気なのと動かないのと身体が他のコモドの倍くらいあって
死んでるみたいなのがいました。死んでるっぽい…と話てたら
後ろにいたインドネシアの人も「mati(死んでる)」と言ってたので
誰が見ても死んでるように見えるんだな…と思うと笑えました。

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そのあと、入場料4500ルピアより高い8500ルピアを支払い
ゴリラゾーンへ。ゴリラにあまり興味はないですが
オランウータンもいるっぽいので入ることに。
ちなみにオランは人、ウータンは森で森の人という意味。
知ってる動物の名前だけど実はインドネシア語です。

ゴリラゾーンはとてつもなく広く、迷路のようで
ゴリラを見るよりも脱出できるかわからなくなる状況で
日差しも強く疲れ果ててしまいました。
運転手さんには3時間くらい待っててと言ってしまったし
もうこれ以上歩くのもしんどいので他の動物を諦めて外へ出ました。

大型ショッピングモールは水洗トイレだし常に清掃員が
いるのできれいですが、こういうローカル施設はトイレが
難易度高くて苦労します。この辺は当時と変わってない。
水洗ではない、紙がない、尻は水で洗う仕様なので
床は水浸し。難易度高いです。私は紙持って行きますが
風呂桶でバケツの水をすくって流さなきゃいけないので
果たして流れるのかとても心配でした…。なんとか流れた…。

空港に到着した時はトイレに入ったら水洗ではあるものの
紙はなく、洋式便座が水浸しで空気椅子しなきゃいけない
高難易度で「あの時こんなのだったっけ!?」と混乱しましたが
昔はどこも和式だったんですよ。洋式にしたけど紙がないという
仕様になった所為で難易度爆上がりだったために先行き不安に
なったんですが、上に書いたとおりモールはトイレきれいだし
本当のローカル施設は和式なのでまだマシです。
中途半端に洋式になんてするから!

ちなみに昔はある程度の施設でも和式でトイレのドアは真ん中
(尻隠せる程度の幅)しかなかったような気がするので
足もとから頭まで見えないドアがついているのは安心で
良かったです。

大混雑して迷路のような動物園を出て、昔テニスをしに
毎週通っていたプラザスナヤンへ向かいました。
その辺も高層ビルが増え、古いテニスコートは跡形もなく
だいぶ様変わりしていました。
プラザの中も高級店が軒を連ねていて、私には全く
用のない場所でしたが、せっかくなので紀伊国屋書店をのぞいて
みました。ここは日本や中国、アメリカなどの輸入の本が多く
インドネシアの本はあまりないようでした。
ここに黒バスのメモ帳とか売ってました。
本屋さんの前にはスタバがあっておしゃれ度MAX。

プラザではこの日9月6日から日本フェスティバルっぽいものが
開催らしく、中央部分で何かやってましたが七福神の
格好をした日本人(かどうか微妙?)がチンドン屋に扮して
音楽を演奏していました。定番の上を向いて歩こうとか。
チンドン屋って今時日本でもないものを日本の文化として
発表されるのは如何なものかと思いつつ眺めていると
次は現地の子供の殺陣披露をするようでした。

そんな様子を上の階から眺めていたんですが
(サンシャインの広場を上から見る感じですね)
同じく下を覗いている男の子の鞄がLのイラストが入った
痛バ。キャラはわからなかったけど女の子の絵の缶バッジが
2つほどついていて、日本が好きなんだろうなぁと思いました。

あまり時間もないのでマックで遅めの昼食。
ウェンディーズの半分くらいの値段だったので
マックはこの国でも他店より安価な価格設定なんですね。
ハーゲンダッツやコールドストーンもあって値段も日本と
変わらず…。現地の庶民の方々はこんなもの食べられないよな
と貧富の差をひしひしと感じました。

日本ではマックのポテトは基本何もつかないですが
インドネシアではチリソースが使い放題。
小さなトレイとソースの入ったポンプ型の容器があり
好きなだけ使えます。このチリソースがすごく美味しい。
日本でお目にかかることがないので久しぶりの味を楽しみました。

その後、ホテルに帰るには少し早いかなという時間だったので
近くにあるらしいJKT48の劇場があるFXモールに行ってみました。
近くにはロッテマートという韓国系のモールもあり、こんなに
モール乱立してて将来破たんするんじゃないかなと思いました。
日本もデパートいくつも経営不振で閉店したよね…。
FXモール4階の劇場へ。予定表を見ると、その日の公演は12時が
1回のようで、16時くらいに到着したから何もないと
思っていたらものすごい人だかり。何を待っているのかは
結局わかりませんでしたが、何かあるんでしょう。

チケット売り場でも見てみようと思いましたがよくわからず
弟とうろうろしているとスタッフオンリーの扉に入っていく
女の子が数人。まわりにいる男の子が手を振ったりしている。
もしかしてメンバー?でもメンバーにしては歓声が上がることもなく
手を振る男の子も数人なので、研究生とかそういうポジション
だったのか…真相は不明。

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ここで思ったのは、オタクの空気は万国共通なのかなってことです。
容姿とか雰囲気とかがアキバの空気感じたので。
なんかすごい馴染む!

時間も遅くなってきたのでホテルへ戻りました。
昔は17〜18時くらいに家を出て都心部に外食へ
行ったり普通にしていましたが、今の道路状況を見ると
それは不可能なようです。食事するのに往復3時間くらい
渋滞に巻き込まれそうです。長期滞在しているのが今だったら
気が狂ってたかもしれない…。15年前で良かった。

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夕食はホテル近くのサリナデパート(たぶん日本でいうと
イトーヨーカ堂とかダイエー的なイメージ)のフードコートで
インドネシア料理を数種テイクアウトして、ケンタッキーも
買って、ローカル食を味わいました。
サテが売切れてたんだけど、一番よく出るもの売り切れって
どうなのよ…と思いましたが。

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心残りなのはヤギのサテが食べられなかったことかな。
日本ではヤギ肉ないからヤギ食べたかった。
向こうでも基本は鳥だから仕方ない。
ケンタッキーは鶏肉に唐辛子仕込んであるのがデフォで
これがまた美味しいです。

そんなジャンクフードとか、スーパーで買ってきた
名前知らないけど結構好きな丸い謎の果物とか食べて
3日目の夜を過ごしました。

ランブータンも食べたかったんだけど、旬が10月からのようで
店には並んでいませんでした。弟はマンゴスチンを食べたいと
言ってたけどこれも見かけなかったから旬じゃないのかな。
母さんはドリアンが好きだからドリアンをなんとかして食べさせて
上げたかったんだけど、ホテルには持ち込めないし(くさいから)
ちゃんと切ってくれるお店じゃないと食べられないし。

路上で売ってるのは鉈で切ってくれるんだけど、今は
そういうのを教えてくれる現地の人が側にいないから
路上で探すのも難しく…。というより見かけなかったので
路上販売禁止になったのかこれも旬じゃないのか。
ドリアンは旅行者が食べるのは難しいですね。
何せホテルに持ち込めない。
posted by れれ at 00:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

2015年09月08日

久しぶりの旅行 二日目

一晩ふかふかのベッドで眠った朝、早速観光へ出発。

朝食はホテルのビュッフェですが、とてもお料理上手な
コックさんがいるのか、どれも美味しく、昔みたいに
甘ったるいだけのスイーツかと期待していなかったケーキ類も
とても美味しくてついつい食べ過ぎました。

写真はパンケーキとワッフルにホイップクリーム
チョコレートソースがけ、スライスアーモンドも
トッピングして(全部自由!)更にミルクプリン!
他にもピーチケーキとかエッグタルトとか
色々ありました。

ジュースはオレンジやすいか、ベジタブルなど何種類かあって
フルーツジュースは果物ミキサーにかけただけという贅沢品。
メロンジュースはジュースっていうかもう普通にメロン。
メロン好きにはたまらんジュースです。
でも無加工なので素材によって甘さや水分量がまちまち。
3日目が一番美味しかった。

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観光と言っても遺跡が見たいとか、何がしたいというのがなく
(そもそもジャカルタ中心部はビジネス街で観光地ではない)
懐かしい母校へ向かいました。
日本人学校なんて言っても通じないことはわかっていたので
あらかじめプリントしていった行きたい場所一覧で住所を
見せて出発。運よく腕の良い運転手さんと出会えたので
一日貸し切らせてもらいました。

言葉がそれほど堪能ではないので、ちょっと不安だったのですが
(学校は割と田舎の方にあるのでタクシー流れてません)
そもそもお金を払ってないのに帰ってしまうことはないよ!
ということでちゃんと待っていてもらえました。

弟はほとんど記憶がないらしいですが、私には舗装が
不十分なガタガタ道を走って、人が屋根にまで乗っている
電車が時々通る線路を越えて行った記憶が鮮明にある
学校でしたが、使う道は新しい高速道路をビュンビュン飛ばして
本当に学校へ向かっているのか不安になるくらい当時とは
全く違う道を経て学校にたどり着きました。

うっかり失念していたのですが、行った日は土曜日で
生徒も先生も姿はなく、現地の警備員さんが数名だけ
待機している状態でした。遠くから眺めるだけでもと
思っていましたが、日本人であることと私は前にここへ
来ていたのよ、という説明で難なく敷地内へは入れてもらえました。

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流石に校内へは入りませんでしたがスクールバスの止まる
広い駐車場と小学部・中学部の真ん中にある入口も
当時と何も変わっていなくて懐かしかったです。

バス乗り場の柱に「添乗員さんに挨拶しよう」とか「走行中に
立ち上がってはいけません」とか、そんな標語が貼ってあって
当時はそんな標語が思いつかないくらい、そういうことを
する子はいなかったので、この国に来る子供たちも
当時より常識がない子が増えたのかな…と感じました。

差別ではないですが、親が海外で勤務を必要とするような
仕事をしていると、躾や教育はそれなりで、日本の市立学校に
通う生徒と比べて比較的しっかりした子供が多いと当時は
感じていましたが、現代はそれなりの仕事をしていても
あまり躾が行き届いていないのかな…と思ってしまったのが
卒業生としては残念に思えます。

懐かしい学校を後にして、次の目的地は住んでいた家の
近所にあるショッピングモール、ポンドックインダーモールへ。
今でこそ日本にも大型ショッピングモールはたくさんありますが
あの頃は日本にそんなモールがなかったので、吹き抜けのある
広々としたモールがとても進んでいて珍しかったです。

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どこであろうと日本人の子供だけが買い物に出たりは
許されませんでしたが、1度だけ現地のお母さんと日本人の
お父さんがいるハーフの友達と遊びにこのモールへ
行ったことがありました。

その時に何をしたか細かくは覚えていないのですが
「映画を見よう!恋愛モノがいい!」と言われ
洋画(音声英語・字幕インドネシア語)を見たのですが
恋愛は恋愛でもゲイカップルとその片方に恋する女性の三角関係を
描いたストーリーだったようで、観終わった後に友達は
「想像してたのと違った」とがっかりしていました。
当時はやおいとかそんなものは知らなかったので喜びは
なかったし、男女の恋愛が見たかった友人にはご愁傷様という
気分だったように記憶しています。

言葉がどっちもわからなかったので、映画自体は
それほど楽しくなかったし、唯一わかった英語が
「Brush your teeth!」と「He is gay!」でした。
なんか話の流れがおかしいかな?と不審に思っていたところで
「私は彼が好きなのよ」というようなことを母親に
一生懸命言っているヒロインに拒否を示す母親が言い放った
その一言で「あー…やっぱりそうなのか」と思いましたね。

そんな思い出のモールでは昔よく食事をした店はもうなくて
好きだったアイス屋さんもなくなっていて、唯一あの時と
同じ場所にあったウェンディーズで昼食をとりました。
いつものメニュー、コーラとベイクドポテトとフロスティを
注文したら60000ルピアくらいで(650円くらい)とてつもない
物価の上昇を感じました。当時は3分の1くらいの価格だったと
記憶しているので、日本より高くない!?と驚愕。
ファーストフードでこんなことになってるなんて…。
金銭的な不安を感じました。

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特にブランド品が欲しいわけでもないので高価なものを
買う気はなかったのですが、予定して換金した金額では
ほとんど何も買えないのかもしれないと悟りました。
15年前と違う環境で、安全な店や場所を教えてくれる
運転手さんもいない今は、旅行者が安全に行けるショッピングモールで
買い物をするしかなかったのですが、数千円から万単位の
値札がついた商品は買えるわけがありませんでした。

救いだったのはインドネシア語に翻訳された日本の
漫画を買いたくて、すごい値段だったらどうしようと
思っていたら20000ルピア(250円くらい)だったので
手に入れることができました。
黒バス18巻を買おうと思っていたんですが、どうやら
12巻が最新のようで。ブリーチやナルトの方がもっと新しい
巻数出ていたので、黒バスは最近流行りはじめたのかな?と
思います。

15年前はドラゴンボールやドラえもんはあっても、そんなに
多くの翻訳漫画はなかったのですが、黒執事などのスクエニ系から
私の知らない少女漫画まで、かなり豊富に翻訳されて
販売されていました。

日本のからの輸入コミックも当時よりかなり増えて
集英社・講談社のメインどころ以外も入ってきて
いるようでした。当時は日本の2倍くらいの金額で買えて
いましたが今は3倍くらいが相場のようで。
当時の滞在中はアニメージュとアニメディアが唯一の
毎月の楽しみでした。

日系書店ではアニメイトに売っているようなグッズも少量
置いていて、何故か黒バスの等身メモ帳がショーケースに
並んでました。値札ついてなかったけどおいくらだろう…。
デュラララの同じタイプのメモとかハイキューのグッズも
置いて有りました。

話が逸れましたが、このモールにはフィギュアショップが
あって、バンダイ系のフィギュアなどが揃っていました。
日本の倍くらいの値段で、ドラゴンボール・ワンピース
ナルト・なのはや艦これもあって黒バスのバンダイ泥人形も
置いてあったし、メガハウス黄瀬と紫原も置いてありました。
メガシは16000円くらいってところでしたね。
その並びに海賊版と思われるアニメグッズショップもあって
ラブライブのキャラがプリントされたTシャツや痛バ
(アキバでよく見かけるキャラがプリントしてあるショルダーバッグ)が
並んでいました。

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モールを一通り見たあとは、懐かしの我が家を見に行くことに。
車で10分程度の場所にあるアパート(日本で言うマンション)に
向かいました。ストリートビューで確認はしていましたが
当時と変わらず我が家はそこにありました。
ここでも日本人ということもあり、警備員さんはすんなり
中へ入れてくれました。この辺のユルさが良くもあり
悪くもあり?

書き忘れましたがホテルもショッピングモールも金属探知機
らいしき道具で不審物がチェックされます。
ホテルに至ってはX線で手荷物を確認され、空港のような
ゲートをくぐることが義務付けられていました。
セキュリティが良いのはありがたいですが、そんなに危ない国に
なってしまったんだな…と感じました。

かつての我が家の敷地内を散策し、ちょっとオシャレに改装された
プールやちょっと当時よりボロボロになってしまった弟がお気に入りの
バスケットコートで記念撮影をして思い出を堪能。
人の家の敷地内で何やってるんだろうと不審に思われそうですが。
住んでいる時は家で記念撮影なんかしないので写真がないのですが
こうして何年もたつと、もっと記録を残したかったなと思います。
その時は携帯もないしデジカメもなかったので写真を取ることの
ハードルが高かったんですよ。

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アパートの次は車で5分程度のよく行っていたスーパーへ。
スーパーの前の道があり得ないほどの大渋滞で入るのも
出るのもとてつもなく大変で、運転手さんに申し訳
なかったです。当時はそこが渋滞するなんてありえなかったですが。
マンゴーや私の好きだったsugusというキャンディを買って
ホテルに帰りました。キャンディの値段は当時と変わらないと
(変わってても数百ルピア)思ったので、この辺の庶民向け
食品は存在していて良かったと思いました。

郊外を少し外れると、昔と変わらず赤ちゃんを抱いて物を
売っている人がいたので、高級ブランド店ばかりが並ぶ
ショッピングモールとその光景を比べると、貧富の差が
当時よりも開いたんだろうと思いました。
渋滞している場所で有志が交通整理をしていて、車を
誘導してもらってチップを渡すというのも昔と変わらず。

道を走っていて変わったことといえばコンビニがたくさん
あること。15年前は日本だってそれほどコンビニが多くは
なかったと思うのですが、十数年の間にインドネシアにも
コンビニがたくさんできていたことに驚きました。
主にセブンイレブンで、ローソンとミニストップを
1つずつ見かけました。入ってみたかったんですが
渋滞が酷いし、時間がなくてそこまではできず…。
ファミマもあるようですが、私が行った場所では
見かけませんでした。

車で移動ばかりはであまりおなかが空かないので
2日目の夕食は抜こうかと考えたんですが、せっかく
来たのに食事をしないのは勿体ないのでインドネシア
料理が食べられるお店に行こう!と昨日断念した
ホテル近くのプラザインドネシアへ。

でも土曜日のモールは相変わらずの混雑で
インドネシア料理をあまり食べたがらない父の都合もあり
イタリアン?な雰囲気をお店に。本当は焼肉でも食べようと
(昔は肉が向こうは安いから焼肉しゃぶしゃぶが安く食べられた)
していたのですが、調べてみると物価が上がりすぎて日本より
高い焼肉になりそうなので却下。

入ったお店で食べたピザやパスタ、お酒も日本と変わらない
というか、日本でもちょっといいお店の値段で物価の
上昇を感じながら食事をしました。
日本人の感覚だとアホみたいに高いわけではなく
普通なのですが、数百円や数十円で買えてたことを
知っていると、とてつもなく値上がりをしたという感覚が拭えず
この金額でこれはちょっと…と躊躇してしまうんです。

そのあと行ったバティックや民芸品を売っているお土産屋さんでも
ものすごく高いものばかりで、昔数百円で買えたものが
数千円、お土産で配るには高すぎると感じるものばかり。
日本人だけど別にお金持ちではない庶民なので、あの頃は
この国に退職金持って来れば一生暮らせるよと言われていたけど
120%無理だね!と思いました。

あと、40%50%オフとか札がついてたけど多分それ、安くしてると
見せかけて、それ以上値切られないようにするためかな?と
思いました。ちょっと流石にこの定価は無理があるかな…?
posted by れれ at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常

久しぶりの旅行 一日目

基本的に旅行が好きではない私が久しぶりに旅行をしました。
よく父と母の意見が合わずモメるし、弟は全てにおいて我関せずで
腹が立つことも多いので、家族での行動はあまりしたくないのですが
成り行きで海外に行こうということになりました。

海外には行ったことがありますが、旅行は初めてです。
というのは、約15年ほど前、父の仕事でインドネシアの首都
ジャカルタに長期滞在しなければならず仕方なく行かされた…ので
旅行気分を味わったことはないのです。

他にシンガポールへも行ったことがあるんですが、これは
ビザの更新に当たって一度インドネシアを出なければいけないので
仕方なく一番近い外国のシンガポールへ行くという義務で行ったため
やはり旅行というには少し違いますね。
ブランド品を少し安く買えるくらいしかメリットがないので、
子供の私には特に楽しくなかったです。
その所為か行ったことしか記憶にありません。

この話は日本に帰って来てからあまり人にしていないので
高校の友人や職場の上司くらいしか知らないのですが、
(履歴書でバレてしまう)今はもう別に隠す必要も
ないので記録に残したいと思ってブログに書いてみます。
私は幸いにも(?)中学の2年半ほど現地の日本人学校に通っており
2年以上の海外在住で帰国子女と見なされる制度があるため
帰国子女という人生のオプションがつきました。

運動神経はなく、学力もロクにない平凡な駆け出しのオタクに
帰国子女という名がついたおかげで高校入試も楽で
(勉強はそれなりにしましたが)当時は比較的優遇されて
人生に有利だったなぁと感じています。

ただし、帰国子女と言うと英語が喋れるイメージしかなく
どこに行っても英語を喋ってみてよ!と言われてしまうのが
高校生の私にとっては苦痛でした。喋れないとうと
「帰国子女なのに英語もわからないなんて」とがっかりされるので
正直不愉快でした。外国は全て英語圏ではないし、日本人学校に
通っていれば現地語も英語も全く喋りません。

そんな理由もあって長い間知り合う人には海外生活を
隠していることが多かったです。オタクの人と喋ると
2年半のアニメ情報がごっそり抜けおちてしまっているので
仕方なくバラすこともありましたが。
私が不在にしていた時期はエヴァやウテナなどの今でも
人気の超弩級アニメ黄金期だったので、オタクなのに
見たことがないというと理由を説明せざるを得ないのです。

滞在中は色々ありましたが、そんな話はまた別の機会にでも
書くとして、今回の旅行について書き記します。

中学生という小学生ほど幼稚でなく、高校生ほど物事の理解には欠ける
そんな不安定で多感な年齢での海外生活は、当時の私にとっては
大変なことも多かったですが(主に漫画がほとんど買えないとか
アニメが見られないとかなので一般的には些細なことです)
今思えばとても貴重な体験を何の労力もなくさせてもらえたわけですから
ありがたいと思っています。

そんな思い出の地に、もう1度行ってみたいと思っていました。
家族で他愛ない会話をしている最中に15年後のあの国が
どうなっているか見てみたいねとう流れになり、冗談かと
思っていたらあっという間に話が成立してしまいました。

父の会社が色々と手配してくれた当時とは違って
準備には色々と手間取りましたが、なんとか旅行へ。

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15年前は日本人はお金を持っていると思われているから
危ない、空港でも難癖をつけられるかもしれないと
不安がいっぱいで、日本の本や特にビデオテープは
没収されるらしいという噂があったので、そんなイメージしかないまま
ジャカルタに到着したのですが、当時到着して空港に足を踏み入れた
瞬間に感じた生暖かい空気はなく、空港の通路にも
空調が整っていて、長蛇の列ができていて邦人に現地語で
質問攻めをするよなイミグレーションもなく、外に出ても
チップをもらうために荷物を運ぶと群がってくる人もなく
(当時は何人もが勝手に荷物に手を出してきて、下手すると
そのまま荷物持って逃げられてしまうという話も…)
いたって平穏な到着でした。

あの頃は独特の異国の臭いが鼻をつきましたが、今の私には
懐かしいあの頃の変わらない香りに感じられました。

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日本人が乗っても安全な会社のタクシーを呼び乗り込んで
街の中心部を目指しましたが、とてつもない渋滞。
昔から渋滞は多い国でしたが、経済が発展し、車を持てる
富裕層が増えた所為か車の数が以前より格段に増えていました。
更に言うと運転手さん遠回りしてるんじゃない?というルートで
ホテルに行かれたため、予定より1000円以上も高い金額を
請求されましたが、命には代えられないので黙ってお支払い。

通常40分程度のところを2時間くらいかけてホテルに到着。
宿泊したホテルは私が初めてジャカルタを訪れた時に
これから不自由な生活が始まるから一晩だけでも良い思いを
させようと、父がスイートルームをとってくれたホテルなのですが
去年改装をしたらしく、通常の部屋でもかなりの豪華さ。
壁の半分以上が鏡張りになっていて、広々としているし
バストイレはガラス張り。
まさかこんなBLみたいなお風呂のあるホテルだとは思っていませんでした。

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予定よりかなり時間がかかってホテルに到着したため
食事に行くにもそろそろ店が閉まる頃だったのでホテル近くの
ショッピングモールへ歩いて行ってみました。
当時は親がいても日本人の子供が外を歩くことは危険で
許されず、近距離でも車でしか移動したことがなかった私には
この国の道路を歩けるなんて新鮮でした。
勿論細心の注意は払っていますが・・・。

ファーストフードで簡単に食事を済ませようと思っていたら
モールに安価な店はなく、料金も日本と変わらないかそれ以上で
何よりどこも混雑していて驚きました。
以前はとても裕福な現地人か外国人ばかりだった高級モールに
現地の人が増えているように感じたし、すれ違う人やお店で
働いている女性がブルカ(イスラムの女性が被る布)を身に
付けている人が以前より多く感じました。

イスラム教といえばあの布をぐるぐるの巻いて戒律を強く守る
イメージが日本人にはあるかと思いますが、インドネシアは比較的
その辺がユルくて、若い女性なんかはわりと被っていない人が
多かった印象しかなかったのですが、今はわりと被る傾向に
あるのかな?と思いました。

モールでの食事を諦め、ホテルのレストランで少しお高い
食事をして一日目が終わりました。

部屋のテレビはなんと驚くことにアニマックスが
無料で見られる環境が整っていて、日本でだって
見ないアニマックスを楽しませてもらいました。
字幕はインドネシア語で、当時から日本のアニメは
人気でしたがドラえもんやおばけのQ太郎というレベルの
時代からはかけ離れていました。

ちなみに15年ほど前はレイアースやってました。
日本で早々してからそれほど経っていない時期にやって
いたので割と早く輸入されている印象。民放での放送では
現地の声優さんが声を当てていました。

クレフの肩書「導師」が日本のアニメでは「どうし」と読まれて
いましたが、インドネシア語では導く人、つまり「先生」のことを
「グル」と言うので「グルクレフ」と呼ばれていたことに感動しました。
CLAMP先生はインドネシア語から取ったんですよね、きっと。

他にも新しい日本のアニメもあったのかもしれませんが
どのチャンネルで何をやっているのかわからないので確認が
できず…。日本の番組はNHKだけ映るのですが、海外向け編成
なので、すべての番組が見られるわけではなく、子供向は
おかあさんといっしょとか忍たまくらいは写っていたかな…と
記憶しています。

今でこそ忍たまでもいいですが、オタク向け黄金期の
エヴァや爆れつハンターが見たかった私には辛かったです。

どうでもいいですが、出発した9月4日は黒バスEXとノベルの
発売日だったので、5日間も読まずに我慢できるわけがないし
ネットジャンキーの私がインターネットを使わないで
過ごせるわけがないので本の入手とWi-Fi入手に奔走しました。
Wi-Fiは首都圏だと問題なく繋がるし、ホテルはフリーの
回線もあったので移動しない時はその辺を活用して
移動中にはネットが繋がるおかげで言葉や行先の住所を
表示したりとても便利でした。

長期滞在中は運転手さん付きの車を借りていて
なかなか優秀な運転手さんだったので(人によっては
道をあまり知らないとか運転下手とかあります)
「○○に行って」と言えば大抵の場所へ連れて行ってくれたので
その感覚でタクシー乗っちゃって詰むかと思いました…。
正式名称と住所大事。
posted by れれ at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常